会計・経理の卒業とは、どういう意味?

経理の卒業ってどういう意味?

経理代行の卒業とは、経理のデータ作成を外注してもいいけど、自分でイメージしてそれを確かめるということができるように持って行くことなのです。
それが、「玉」が磨かれるプロセス。
そこまで行かないと、面白くないと思っています。

会計・経理から卒業したいと感じた、あなたへ。

卒業の意味するところは、「会計・経理代行からの卒業を目指す」です。以前、(「そもそも「記帳」と「経理」って何だろう?
(https://keiri-shikumi.com/uncategorized/599/)」)に書いたように、会計は代行できません。

経理は、経営管理。
会社設立当初、あるいは会社がまだ若いうちは、管理ってなくてもとにかく前に進むだけです。
きっと、いろんなデータの作成は後回しで、なんとか帳尻合わせる感じが多いでしょう。
それで正しいと思います。データ作成はある程度テクニカルだし、データを作れても経営ができるわけじゃない。

ところが、運営をきちんと行うには、管理がどうしても必要になります。
会社は、お金が回らないと続かないからだけじゃなくて、一番大事なのは、お客様の管理ですが、その他に人の管理も必要です。
その管理は、どうしても数字を追っていくことが必要です。
たぶん、ほかに選択肢はないからです。
その管理を代行するって、結構大変です。
だって、会社の内実はわからないから。

ところが、数字のデータを追うだけはなんとか外注してもできる。
そこで、いわゆる経理データだけ作ってもらえればいいと考えれば、外注だけで大丈夫でしょう。

でも、会社の経営って、自分(経営者)の表現だと思うのです。
そうであるなら、自分をちゃんと数字で表現しないといけません。

自分の表現って、人に任せられますか?
どういう会社にしたいか、数字以外のことはもちろんあっても、数字で、どういう客様にどういう売り方をして、どういう財産を残して、どう引き継いでいくか…
これらは、全部数字で(予測も含めて)表せます。
でも、外注では、できないのです。だって、本人じゃないですから。
ところが最初は、上にも書いたようにデータ作成は結構大変、データ作成しているうちに会社潰れちゃうかも…
だから、最初の形は外注でもいいのです。
ところが、何時までも外注だけだったら、形だけの表現になって、自分がなくなります。

そこで、自分で数字を作っていく段階がどうしても必要になります。
それじゃないと会社が続きません。
集計は、外注でできます。
でも、数字を作っていくこと、イメージすること、これは、経営者本人じゃないとできないのです。

余談ですが・・・・、

卒業っていうと
ダスティンホフマンのことを思いまします。
前回、経理は玉を磨くってこと書きました。
それって、経理代行を卒業するって意味があるってことなのですが。

その前に、「卒業」の映画を思い出します。
あれ、なんで「卒業」なんだろう…。
ラストシーンだけ強烈に印象に残っています。
1970年代って、後先考えなくてもなんとかなる時代だったかもしれないと思います。

映画の題名が The Graduate だからね…Theがついてるんですね。
みんなと共有できるGraduateがあるってことなので、要するに解放…なんです。
相手役、キャサリンロスが、最後にちょっと愁いを帯びた顔をするのが、味噌のような気がします。

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